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多義表現のチャンピオン

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最近の多義表現のチャンピオンは、なんといっても今、話題の『一定のメド』でしょう。

(注:「多義表現」とは、世間で言う「玉虫色の表現」と同じ意味で、私が好んで使う言葉です。いろいろな意味(多義)に解釈できる表現のことです。)

あまり話題になっていませんが、『若い人たちに引きついでもらいたい』もりっぱな多義表現です。

★意味A:「私は総理の職を辞するので、総理の座を若い人に引きついでもらいたい。」

★意味B:「震災復興の最高責任者の職責を総理の私から、別の若い人たちに引きついでもらいたい。」


恐らく、菅さんと岡田さんが意図的に鳩山さんをはめたのではなく、巷で毎日起こっている多義表現からの意図せぬ誤解が起こったのでしょう。

また、3項目が記されていた確認文書も、その存在自体がりっぱな多義表現ですね。

★菅さんの解釈:「最低限、絶対に守って欲しい事項を書いた確認書」

★鳩山さんの解釈:「総理辞職までに実行して欲しい事項の全てを書いた確認書」


自分に都合よく解釈してしまう、このような人間界のコミュニケーションの混乱を描いているお勧めの映画があります。黒澤明監督の『羅生門』です。これからも人間界で生きていこうと思っている人には絶対のお勧めです。

かなり古い映画ですが、昨日からの政界の混乱が示している通り、人間界の普遍的現象を象徴的に描いているため、テーマは全く古くないと言えます。

下手なコミュニケーションが生み出す社会の無駄を研究している私にとって、昨日からの政界の混乱は実に事例として興味深いです。

鳩山さんがもう少し多義表現という怪物に対しての認識を持っていたら、誤解を回避できたでしょう。コミュニケーションに潜む地雷のような多義表現に関し、あまりに無知、無邪気、無防備だったと言えるでしょう。

今回の誤解で得をしたのが菅さんで、損をしたのが鳩山さんです。ですから、誤解回避の注意義務があったのは鳩山さんサイドだったことになります。

一方、昨日、菅さんが発言した曖昧な多義表現の真意を尋ねられても、菅さんは昨日と同じ表現を繰り返すのみでした。

つまり、自分の発した表現が自分の意図した意味とは異なるように解釈される、という多義表現が引き起こす現象自体を全く理解できていないのか、認めない様子でした。幼稚園児が相対性理論を理解できないのと同様でした。

ですから、昨日と同じ表現を何度も繰り返すだけで、「これで意味が分かるはずでしょ?」という対応でした。つまり、多義表現を使ってしまったという不手際が自分にあったことを自覚できないのです。

分かりやすく明解な他の表現で言い換えて自分の意図を説明することを拒絶していました。菅さんも鳩山さん同様、多義表現に関し、あまりに無知、無邪気、無防備だと言えるでしょう。

「意味が曖昧だったから、どういう意味だったのかを説明して欲しい」と求められても、分かりやすく説明しようとしない菅さんは、リーダー失格です。リーダーの重要な職責の一つが、自分の意図を周囲に明確に伝えることだからです。

リーダーの仕事を拒否するなら、リーダー失格の判定は当然です。あるいは、自分の意図を明確にすることをかたくなに避けているところをみると、リーダーの資質を欠いている、という問題ではないのかもしれません。

そうではなく、意図的に多義表現を使い、鳩山さんサイドをはめたのでは?という疑いが濃厚になってきます。前総理の鳩山さん同様、またしても国民は「殿のご乱心!」を体験しているのでしょうか。

菅さんも鳩山さんもコミュニケーションの基本に関して全く無知らしい様子を見るにつけ、小学校では英語よりも先に、コミュニケーションの基本を緊急に教える必要があると感じます。

菅さんも鳩山さんも全く習ったことが無いので、無邪気に自己流でコミュニケーションをしているだけなのでしょう。私の目には、二人とも地雷原の中を鼻歌を歌いながらスキップしているような無邪気さに見えます。

そういう意味では、昨日からの混乱に関し、コミュニケーションの基本に無知な二人には責任がなく、二人は日本のお粗末な教育事情の犠牲者として、むしろ気の毒なのかもしれません。

by robocop307 | 2011-06-03 21:26  

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