JR京都駅での嘆き
【メルマガ申込みは → こちら 】
【 藤沢晃治のサイトは → こちら 】
昨晩、JR京都駅構内でトイレを探していた私は、上の写真の案内表示を見て、左に進みました。しかし、実際にはトイレは右方向でした。案内板全体は下の写真の通りでした。
よ~~~~く観察すれば、トイレは右方向のように見えないでもありません。しかし、原発が厳しい条件である大津波を想定しなければならないのと同じように、案内板は多くの人がチラッとしか見ないという厳しい現実を想定しなければならないはずです。
チラッと見ただけでは意図が正しく伝わらない案内板など、脆弱さの点で、大津波が来たら破綻してしまう原発のようなものでしょう。どちらも甘い想定で作られていて、品質が実用レベルに達していないのでは、と感じてしまいます。
慎重さに欠ける私のようなそそっかしい人間(フール)にも正しく意図が伝わる案内表示こそ、強固で実用に耐えるフールプルーフ品質と言えるのではないでしょうか。
冷静で思慮深い人だけではなく、そそっかしい私のような知的弱者をも含めた万人が見ても耐えうる品質こそユニバーサルデザインと言えるのではないでしょうか。
そそっかしい人は見ない、大津波は来ない、という制作者にとって都合のいい状況でしか正常な機能を発揮できない物は不良品ではないでしょうか。
その案内板を指差しながら、駅員さんに「トイレはどっちですか?」と嫌味で尋ねたところ、「右です!」と、分かりきったことを聞くな、と言わんばかりの冷たい表情で対応されました。
「ルビンの壷」現象を知らなければ、その案内板ではトイレが左方向に見える人もいることなど思いつかないのでしょう。ところで、「地下鉄のりかえ」は、どっちの方向なのでしょう。この表示板、上段と下段とに分かれている意図なら、右側の矢印の位置が上下での中央付近にあり、やはり、意味不明です。
トイレの方向などは人命に係わりません。しかし、人命に係わる災害時の避難経路を示す表示などで、こんな意味不明なものがあれば、それこそ、人命をも奪う可能性があります。
私の研修では、なぜ、このような案内板が作られてしまうのかの心理学的背景を解説しています。案内標示を作っている全ての人に、私の研修を受講してもらいたいものです。
本音の本音を言えば、こういう標示を見ると嬉しくなります。まだまだ、私のブルーバックスの本が世間で必要とされるだろうな、とニンマリ思ってしまうからです。世の中の表現が全て分かりやすくなってしまったら、私の商売あがったりですから。
医師が「病人がいなくなってしまったら、私の商売あがったりです。」などと発言したら不謹慎でしょうね。私は医師でなくてよかったです。
by robocop307 | 2011-12-14 22:49 | 意見表明