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私が弁護士だったら

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私は個人的には木嶋被告が殺人を犯していると確信しています。ところで、検察側は最終弁論で次のような比喩(赤字表記部分)を使ったそうです。

夜明けに外を見て、一面が雪景色だった場合、雪が降っているところを見ていなくても、夜中に降ったことは明らかです。

おもしろくて分かりやすく、的確で良い比喩だと思います。ある意味で感服しました。状況証拠しかない苦しい状況で、説得力ある有効な一打かと思います。

しかし、私の個人的信念とは別に、もし、木嶋被告を私が職業として弁護する立場だったら、以下の青字のように反論するでしょう。

裁判員の皆さん、しかし、夜中に雪が降る様子を直接、見ていない限り、誰かが夜中に雪噴霧器で雪を積もらせた可能性はゼロとは言い切れません。

荒唐無稽な話に聞こえるかもしれません。しかし、それでもその確率は0.01%以下かも知れませんが、ゼロとは言い切れません。

裁判では次の2種類の判断ミスがあります。

 ◆判断ミス【A】有罪の人を無罪にしてしまう。
 ◆判断ミス【B】無罪の人を有罪にしてしまう。

どちらも深刻なミスですが、裁判員の皆さんは、どちらのミスがより重大で深刻とお考えになりますか?本件では、ミスBは、「無罪の人を死刑にする」ことを意味します。裁判員の皆さんが絶対に犯したくないのは、判断ミスAと判断ミスBのどちらでしょうか?

この2つのミスの重大さを比較した上で、より避けなければならないのはミスBである、という理念が司法の「疑わしきは罰せず」という苦渋のルールなのです。

夜中に雪が降っている様子を撮影した動画があるなど、100%確かでなければ、「夜中に雪が降った」とは言い切れません。繰り返しになりますが、どんなに小さな確率でも、誰かが雪噴霧器で雪を積もらせた可能性は残ります。

3人の男性の死亡は、偶然が重なって殺害されたように見えるだけです。このように偶然が重なる確率は小さいかもしれませんが、決してゼロではありません。雪噴霧器のような荒唐無稽な話より、はるかに大きい可能性です。

確率がどんなに小さいことでも、確率ゼロではないことは実際に起こるのです。1000年に1度の小さい確率の大津波は実際に起こりました。まして、本件のような偶然が重なる確率は1000年に1度よりずっと大きく、本件で実際に起こったのです。

ですから、検察側が言うように「偶然が重なる可能性はゼロである」という根拠で被告を死刑にするなら、ミスBを犯してしまうことになります。

たとえ、どんなに小さい確率であっても「無罪の人を死刑にする」ことは絶対にあってはならないのです。それが、「疑わしきは罰せず」の司法のルールなのです。

裁判員の皆さん、長年の人類の英知として作られてきたこの苦渋のルールを今回だけ簡単に破ってもよいのでしょうか?

「無実の人を死刑にする」ような判断ミスは、99.99%避けるべきなのではなく、100%避けるべきではないでしょうか?

被告を死刑にするには、検察は夜中に雪が降っている様子の動画を提出すべきではないでしょうか?「多分」の憶測だけで人命を奪ってもよいのでしょうか?

死刑が執行された後で冤罪だったことが明らかになった場合、皆さんは、ご自分にどう言い訳できるのでしょうか?

by robocop307 | 2012-03-13 12:58 | つぶやき  

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