人気ブログランキング | 話題のタグを見る

チェスと尖閣

【 メールは → こちら
【 藤沢晃治の公式サイトは → こちら
【 メルマガ申込みは → こちら

チェスと尖閣_d0168150_15082508.jpg
www.imart.co.jp より引用】

今年、チェスのオリンピックがトルコのイスタンブールで開催されたようですね。

参加150ヶ国の中で、男子の成績(順位)は以下のようです。

◆中国:第4位
◆米国:第5位
◆ドイツ:第12位
◆イングランド:第17位
◆フィリピン:第21位
◆インド:第35位
◆ブラジル:第39位
◆モンゴル:第46位
◆インドネシア:第73位
◆ウガンダ:第90位
◆スーダン:第111位
◆アンゴラ:第114位
◆日本:第123位

詳しい成績は → こちら

上の日本の順位は、世界での日本の自己主張力の順位を反映しているのでは、と勝手に心配しています。こんなんで、尖閣は大丈夫なのでしょうか。軍事衝突以外で勝負を決めるのは、世界に向けてのプレゼン力です。

米国の新聞に意見広告を載せるなど、中国が先手を打っています。二国間問題である領土問題を他国にアピールすることは、「先生に言いつけている」ような行為で、ちょっとカッコ悪いことは確かです。日本の後ろ盾である米国の軍事力を中国が無視できないからなのでしょう。

その米国の世論をジワジワと切り崩せば、尖閣に中国が軍事力を使う選択肢の現実味がジワジワと増してくる、という中国の長期戦略だと思います。

私は、尖閣に関する両国の主張を客観的に精査、検証したことが全くないズブの素人です。ですので、この問題に関しては判断がつきません。

道で日本人とイタリア人が喧嘩していたとしても、どちらの言い分が正しいのか事情を知らなければ、どちらの味方になるべきか判断がつかないのと同じです。

喧嘩の事情を知らないのに自分が日本人だからという理由だけで、喧嘩している日本人の味方になる、という安易な判断はしない習慣です。

しかし、そうは言っても、尖閣の問題に関しては、日本人として日本を応援したくなるのが人情の自然です。

もし、日本側の主張が正しいのであれば、中国のそうした米国世論操作の戦略に日本側も応戦しなければならないでしょう。

但し、中国が米国紙に意見広告を載せたように、日本も世界に向けて声高に日本側の主張を発信し始めることには、メリットだけではなくデメリットもあります。

デメリットとは、もし、中国と日本が大声で泥試合を展開すれば、尖閣に関心が無い第三国には、両国が同じ土俵で互角に闘い合っている対等な関係に見えてしまうことです。

つまり、中国も日本も「お互い様」の対等な立場に見えてしまいます。もし、日本が「中国の主張は全くの言いがかりだ!」と言いたいならば、それは損なことであり、中国の思う壺です。

そういう意味では、中国の挑発に乗らず、日本が沈黙を続けることにはメリットもあります。中国が世界世論に向かって声高に主張するのに対し、こちらは、逆に沈黙を通す戦略です。

なぜ沈黙がメリットになりうるのかと言えば、「日本が中国を相手にもしていないところを見ると、中国の主張は言いがかりなのかもしれない」という印象を世界に与えられるからです。

言い換えるなら、「日本が声高に反論する必要がないほど日本の主張が正しいことは自明なのかもしれない」と世界にアピールできるメリットもあるからです。

つまり、日本が嫌う「対等な立場」に陥ることを避けられるメリットです。中国の挑発に乗るか、無視するかの判断は極めて微妙でしょう。外務省や官邸では深夜まで激論を闘わせているのではないでしょうか。

しかし、領土問題の当事国ほどには、世界世論は、その領土問題に精通していないし、関心もないのが普通です。そんな世界世論が片方の主張だけを常時、聞かされていけば、徐々にその方向に傾いていくことも事実です。

ですから、「領土問題は存在しない」などとお気楽なことは言っていられません。それこそ、「降りかかる火の粉は払わなければならない」のです。

プレゼン力の構成要素の一つとして「説得力」があります。そして、その説得力の構成要素の一つとして、さらに「論理力」があります。チェスの成績がこんな日本の国際社会に対するプレゼン力は大丈夫なのでしょうか。

「日本には将棋があるから」などと悠長なことは言ってられないでしょう。中国にも象棋(シャンチー)という中国将棋があるにも拘わらず、国際舞台でのチェスでも、それなりの地位を占めています。

「以心伝心」などという価値観があったり、自己主張の強い人間が叩かれる日本という国は、世界に向けて効果的なプレゼンができるのでしょうか。世界共通語である「論理」という武器で闘えるのでしょうか。チェス・オリンピックの成績を見ていると、少々、心配です。

日本には世界に誇れる伝統芸能である将棋があるのだから、チェスなんてどうでもいい、という考え方もあるでしょう。しかし、この考え方は、「日本にはりっぱな日本語があるのだから、英語なんてどうでもいい」という考え方に似ているような気もします。

鎖国時代なら、気骨あるりっぱな思想だと思います。しかし、国際社会と共に生きなければならない現代日本ではどうなんでしょうか。

チェスを趣味としている羽生善治さんのような、自国文化を大切にしつつも、世界標準にも目配りする国際的なバランス感覚を私たちも見習いたいものです。

by robocop307 | 2012-10-08 00:55 | チェス  

<< 羽生さんはやっぱり天才 やられました・・・ >>