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平和ボケ国家

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日本が平和ボケ国家であることがよく指摘されます。私も時々、そう感じます。

国内の犯罪率が低いため、日本人の防犯意識が海外に比較して異常に低いことと相通ずるような気もします。同じ臭いがします。

私は海外での居住経験があるわけではありませんが、日本人の防犯意識の低さに、「バッカじゃないの!」と思うことがよくあります。ボーッとしていて脇が甘いのです。

例えば、人通りの少ない夜道での女性の歩きスマホ。昼間の歩行中でも、私の背後10m以内に人が入るのを許さない私と大違いです。通り魔が怖いからです。

私の背後に人が歩いていたら、立ち止まってその人を先に行かせます。こうして、歩行中、私の背後10mはいつも人がいません。

病的だとは自覚してますが、駅のホームで電車を待つときも、行列の先頭には絶対、立ちません。電車が入ってきたとき、背後から押されて線路に突き落とされると悪いからです。

日本人の防犯意識の低さを頻繁に感じるのは、他にもセルフサービス式のカフェがあります。席が混んでいるような際、カウンターで自分の飲み物を注文しようとすると、店員さんにこう尋ねられます。「席を先に取ってありますか?」と。

そのとき、「お一人様」の客に「席使用中」のようなカードを店員さんが渡してくれるわけではありません。一人客の場合、どうやって席を確保しろと言うのでしょうか。

もちろん、私物の何かをテーブルか椅子において、そのテーブルが「使用中」ということを示せ、との発想なのでしょう。尋ねたことはありませんが。

じゃあ、仮にカウンターから遠いところにある席に私物を置いたらどうなるのでしょう。カウンターに戻ってコーヒーが出来上がるのを待っている間、どうなるのでしょう?

その私物が盗難にあった場合、私物を置いて席を確保するように指示したそのカフェは責任を取る覚悟があるのでしょうか。もちろん、そんな覚悟はありません。

そんな短時間の間に盗難が発生すること自体を単に「想定していない」のです。能天気なだけなのです。

少々飛躍しますが、福島原発を襲った大津波を想定していなかった東電と五十歩百歩です。規模は違いますが、その本質においては同じです。経験しないことを想定する能力に欠けているのです。危険に対する想像力の欠如です。

経験してから、やっと後手策の検討を開始するわけです。「愚者は経験に学ぶ」の典型です。平和ボケ国家の本質かもしれません。

平和が続くことはよいことですが、平和が長くなると、有事に対する想像力が失われ、備えが徐々に薄くなっていくわけです。

但し、憲法改正の手続きを迂回し、国民の合意を得ずに安保法案を可決した憲法無視の強権政治には断固反対です。

たとえ国民の大多数がバカであっても、民主主義では最終決定権は、そのバカ殿である国民にあるのです。憲法やバカ殿の意向を無視して、正しいと信じることであれば何でもやるなら、単なる「独裁」です。

民主主義とは、素人集団の多数決で将棋の次の一手を選ぶようなものです。少数派の有段者達が主張する次の一手が実は最善手だとします。

しかし、民主主義では、素人集団の多数決がその手を選ばない限り、その最善手を指してはならないのです。民主主義とは本来、このように、素早く最善手を指せない非効率な制度なのです。

専門家は最善手を瞬時に選び出せます。しかし、主権者であるバカ殿が最善手を理解し、選択するまでには当然、時間がかかります。この時間がかかるという非効率こそ、民主主義が宿命的に持つ欠陥なのです。

しかし、民主主義以外に独裁を防ぐ有効な代替案がないので仕方ないのです。民主主義とは、欠陥がありながらも、「独裁者よりもバカ殿の方がマシ」という、歴史から学んだ「人類の知恵」なのです。

ところで、席を先に確保せよ、と一人客に言うなら、盗難の可能性を防いであげる「席使用中」カードのようなものを準備するくらいの親切心、機転が働かないのでしょうか。

近所のある有名カフェの店員さんに、そのような使用中カードを準備することを提言してみました。しかし、2年以上経ちますが、以前と変わらず、私物での席確保を要求しています。

仕方ないので、私は自分で「この席は使用中です」カードを作りました。コーヒーカップのイラスト付きで。クレジットカードと同じサイズにして、常時、財布に入れています。透明なラミネートフィルムで加工したので形状だけは本物のクレジットカードのようです。
















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by robocop307 | 2015-11-10 19:33 | つぶやき  

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