教育勅語のどこが悪い!
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【このブログは、過去の記事を含めて、より分かりやすくするために常時、推敲しています。】
籠池さん、稲田さん、
とお尋ねですか?
この質問を投げられた周囲の記者の方々が全く無反応だったので、代わりに私が答えましょう。
悪いところは、教育勅語の基本理念が、道徳観を上から目線で誰かが指図している点です。
国民主権では、親分は我々国民です。その親分である我々に向かって誰かが上から偉そうに指図している点が悪いところです。
親分である国民を指導、監督が必要な愚民と見ている視点が悪いところです。
書かれている道徳の内容が正しいとか間違っているとか、そういう論点以前の問題なのですよ。
多くの国民は、戦争のトラウマから、「上から指図する臭いがする」教育勅語の由来を嫌悪しているのです。教育勅語が放つ「お上(おかみ)」の気配に脅えているのであって、内容をうんぬんしているわけではないのです。
私だって、「オカンやオトンを大切にせなあかんで!」という考えには賛成です。しかし、この考えを国家の規範として上から指図されることには大反対です。
国家の規範としては、主権者が民意の自治として決めた、必要最低限の法律、条例だけで十分です。思想信条、道徳のレベルまで、「民意と無関係なお上」から指図されたくはないのです。
日本の歴史が証明している通り、お上から指図される規範に従わない者には、必ず弾圧が加えられるからです。多様性を認めず、均一の価値観を押し付ける恐怖社会になるからです。
現に、籠池さんが教育勅語の精神を推し進める幼稚園では、歴史が教えてきた通り、数々の虐待が起こっています。
曲がったキュウリを排除する社会、多様性を認めない非寛容な社会を招くのが教育勅語の精神だと疑われても仕方ありません。
籠池さん、あなたが自分の幼稚園で見事にそれを証明してくれました。犠牲になった、あるいは、現在、犠牲になっている園児たちが気の毒でなりません。一刻も早く救出されることを祈ります。
「教育勅語のどこが悪い?」などと論点を逸らさないでください。教育勅語の内容なんて、どうでもいいんです。
現在のドイツ国民は、言論の自由という大原則に逆らってでも、民意としての嫌悪感からナチス賛美を法的に禁じています。過去のトラウマからの日本人の教育勅語への嫌悪感は、このドイツ国民の嫌悪感と同類なのです。
問題は、教育勅語の「内容」ではなく、「由来」なのです。
あなた方二人は、教育勅語の当たり障りのない徳目(フグになぞらえるなら「食べられる部分」)にばかりコメントしてますよね。意図的なのか、教育勅語が国民主権を無視している点(フグ毒)には、いつも一切触れません。
そして「フグは美味しい食べ物だ!フグのどこが悪い?」と単純化してますよね。そういうのを「木だけ見せて森を見せず」の「論点の摩り替え」って言うんですよ。
お二人とも、今後、フグを論じるときは、フグが美味しいという話ばかりして、フグ毒のことには全く触れない、という目くらましのズルは止めましょう!
国民主権国家では、道徳を決めるのは、親分である我々国民であって、それ以外の誰かではないのです。
国民主権では、親分である国民は、「おいっ!こらっ!逮捕するぞ!」と指導、命令、監視される側ではなく、「おいっ!こらっ!落選させるぞ!」と指導、命令、監視する側なんですよ。
あなた方のような一部の戦前愛好家は、自分たちが理想として陶酔している国家観の方向に国民を誘導したいという願望を持ってますよね。
最高権力者の親分である国民より自分たちが上に立って、親分を教育、指導しようということです。そういう発想自体が、とんでもない思い上がりで大きなお世話なんですよ。
我々の方向づけを決められるのは、唯一、国家の親分である我々国民自身の多数決なんですよ。その多数決によって、教育勅語は既に、「国家規範としては不採用」と決まったんですよ。
戦後の民主日本で教育勅語を称賛するなんて無神経ですよ。その内容がどんなによくてもです。
広島で「原爆万歳」という名前のカフェを開店するのが無神経なのと同じです。そのお店のコーヒーがどんなに美味しいとしてもです。
お二人とも、教育勅語のどこが悪いか理解できましたか?
戦前嫌悪派の日本人は全員、ある意味、脱北者のようなものでしょう。いつ、北(戦前)からの工作員に捕まって、再び北へ連れ戻されるか脅えている人も多いのです。教育勅語にそんな工作員の影を感じて脅える人も多いのです。
お二人とも、なぜ、戦争のトラウマで脅えている多くの方々が教育勅語に未だに拒否反応を示すか、その理由がやっと理解できましたか?
お二人とも、早く「時空の捻れ」から抜け出し、現代に戻ってきてください。オジサンとオバサンが時空の捻れに迷い込んでも「君の名は」みたいには受けませんよ!
お二人とも、もっと戦後の国民主権の理念を勉強しましょう!稲田さん、司法試験には国民主権の理念を問う問題はなかったのですか?
以上、教育勅語のどこが悪いかを説明させていただきました。
ここまでも、長文の悪文でしたが、ここから先は、さらに長文、悪文です。教育勅語の肯定論も紹介しながら、野党の皆さんに対して意見を言わせてください。
野党の皆さん、大変失礼ながら、あなた方もバカですか?意図的な虚偽ではなく、誰でもやる、単なる記憶違いを理由に、稲田さんを辞めさせようというんですか?
三流週刊誌じゃあるまいし、まるで鬼の首でも取ったように、些細な答弁ミスの揚げ足取りで大騒ぎして。
それほどあなた方には他に武器がないんですか?国民はあなた方の稲田さん攻撃の理由には全く共感してませんよ。
私自身は稲田さんが意図的なウソをついたと確信しています。あなた方野党もそう確信しているなら、どうかそれを立証してください。
立証できれば、大臣免職の十分な理由となります。しかし、立証できなければ、あなた方の負けですよ。
記憶違いなどという些末なミスではなく、なぜ、もっと大臣資質としての彼女の確信犯的で重大な不適格事項を追求しないのですか???
現職の大臣でありながら教育勅語を賛美するなど、彼女が国民主権を否定したがっていることです。
籠池さんのような私人なら、言論の自由も、思想信条の自由もあり、教育勅語を賛美することは、もちろん自由です。
私人なら、教育勅語を嫌いな人もいれば、賛美する人もいる。これが健全な民主社会です。個人生活の範囲なら、教育勅語が正しいのか、間違っているのか、に関しての正解はありません。個人の好き好きです。
しかし、彼女は公人として教育勅語を賛美しています。これは、公人として順守すべき現憲法が規定している国民主権を否定することです。これこそ、大臣資質として確信犯的な不適格事項です。
つまり、彼女は教育勅語を賛美していながら、その中の徳目の一つである「憲法や法律を重んじましょう」の精神を順守していません。彼女の主張全般の整合性を疑わせるのに十分な大きな矛盾です。
彼女に限りませんが、教育勅語を賛美する方々は、概して、むしろ教育勅語の中の徳目に反するような行動をとる方が多いように感じます。
例えば、教育勅語が「行動は慎み深く、他人には博愛の手を差し伸べましょう」と説いているのに、ヘイトスピーチをしてみたり、籠池さんの幼稚園では幼児を虐待してみたりなどです。こうした現象も、教育勅語に対する不信感を増している理由です。
私自身も、教育勅語の中の「国民主権を否定する部分」以外は、純粋で問題のないものだとも思っています。「国民主権を否定する部分」でさえも、その時代では悪意のない素朴な愛国心が動機だったのではと推測します。
考えてみれば、教育勅語とは、国民主権という概念そのものがなかった古代の産物です。そんな古代の産物を現代の価値基準に照らして「悪の権化」のようにヒステリックに批判するのも的外れなのでしょう。
つい最近の昔でも、「パワハラが悪」や「受動喫煙が悪」という概念そのものがありませんでした。ですから、そんな時代背景では、パワハラや受動喫煙も普通のこととして許容されていました。教育勅語が当時の時代背景では普通のこととして何も違和感がなかったことと同じでしょう。
当時の周辺の政治家たちが、悪意のない単なる素朴な教育指針を自分たちの支配欲を満たすツールとして利用したのです。「おいっ!こらっ!逮捕するぞ!」の根拠としたくて悪用していただけでしょう。稲田さんのように、現在も同じ志の政治家が多いようですが。
つまり、教育勅語自体は、歴史の中では純粋だったとみなしてもいいのかもしれません。ですので、本当に怖いのは、ただの歴史的資料にすぎない教育勅語自体ではないような気がします。
本当に怖いのは、教育勅語を賛美、利用して何かの復活を企んでいる「戦前回帰趣味の怪しい方々」であるような気がします。
森友学園事件のせいで、閣僚のなんと7割近くが、そんな怪しい方々だということが表面化しました。籠池さんの虐待幼稚園の教育方針に感動、賞賛していたことが表面化したのです。
まるで、気づかないうちに地球がインベーダーたちに支配されつつあるようなSF映画のようです。背筋が凍る思いです。
こうした怪しい方々が狡猾に水面下で静かに日本をある方向に押し進めようとしていたのです。ところが、幸い、森友学園事件をきっかけに、彼らが密かに企んでいたその国家の方向性が突然、広く国民にばれてしまったのです。
気づかないままでいたら、危ないところでした。森友学園とメディアに感謝です。最近は、ずっと自民党に投票していましたが、おかげで、「おいっ!こらっ!落選させるぞ!」の権利を思い出させてもらえました。
自民党の中にもまともな方は多いので、自民党内の「怪しい方々」と「まともな方々」を見分ける方法はないのでしょうか。今、話題になっている教育勅語を「踏み絵」にして見分けられるかもしれませんね。メディアの方々、特集を組んでみてはいかがでしょう?
ところで、第9条を含むとしても、私は憲法改正に賛成です。ただ、もちろん、
【1】国民主権の廃止 (つまり、民主主義の廃止) と
【2】言論の自由の廃止
の2点を中心理念とする自民党の憲法改悪案には絶対反対です。戦前回帰を夢見ている怪しい方々が、自分たちの夢に陶酔しつつ妄想にかられて起草したことが明らかだからです。
しかし、繰り返しになりますが、私は一般論としての憲法改正には賛成です。籠池さんや私のような私人なら、このように自分の思想信条を語る言論の自由があります。
しかし、繰り返しになりますが、稲田さんは、憲法の理念の下で働くべき行政府の人間として教育勅語を賛美しています。つまり、国民主権を否定したがっているのですから、行政府の人間として現憲法を否定しています。
あの暴れん坊のトランプさんでさえ、大統領就任式で、合衆国憲法の維持、保護、擁護を宣誓させられるのです。思想信条の自由の国だから、大統領も憲法を無視して好き勝手をしていい、なんて論理は通りません。
ましてや、文明国の我が国です。選挙演説で憲法改正の必要性を説くならともかくです。当選後の現職の大臣が教育勅語を賛美しています。「私は本当は、現在の国民主権ではなく、戦前の体制のほうが理想だと思います」と公言していることと同じです。
職務上、許されるはずがありません。彼女自身が心酔している教育勅語でも戒められている行為です。
言論の自由、思想信条の自由があるからといって、消防士が「私は本当は放火犯を尊敬しています」などと公言することが職務上、許されないのと同じです。そんな消防士は、言論の自由、思想信条の自由を許されたまま、職務は解任されます。
稲田さんだって解任されるべきです。行政府の行動基準を定めた現憲法に従うことを嫌がっている人間に行政府の仕事をさせるべきではありません。危険すぎます。現憲法を批判したいなら、大臣を辞して立法府の一般議員に戻ってから発言すべきです。
公の場で現憲法に刃向かう発言を繰り返す彼女こそ、真っ先にシビリアン・コントロールされるべきです。一見、彼女は制服を着ていないように見えますが、彼女の心魂は、まぎれもなく大日本帝国軍人の軍服をビシッと着用しているからです。
野党の皆さん、なぜ、彼女のこの点に集中砲火を浴びせないのですか???
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by robocop307 | 2017-03-14 22:47 | 警鐘